ショウ、生まれてくれてありがとう。
平成20年1月4日 13時54分
男子、誕生 3070g 母子共に健康
祥太朗と名付けた。
明るく、そして温かい心を持った人になって欲しいと、そうすれば、将来、どんな苦境に立たされても、手を差し伸べてくれる人が現れるだろう。
人生は、辛いかもしれない、苦しいかもしれない、でも、周りの人と仲良くしていれば、楽しい事が一杯ある。
そんな人生を送って欲しいとの願いを込めた。
ショウ、お前が生まれた事が、お父さんは何よりも嬉しい。
それだけで、お父さんは満足です。
お前は天からの授かり者。
お父さんは、そう、思ってます。
お母さんは、無排卵月経症と言ってね、子供が出来にくい体質。
婦人科の治療はしてはいたが、お父さんとお母さんは、子供が出来ないだろうと思っていました。
だから、お前がお母さんのお腹の中に宿ったと聞いた時は、飛び上がらんばかりに驚き、喜んだ。
諦めていた二人の子供が出来た!
お父さんが思うに、お前はお父さんのお父さんやお母さん、お前から見たら、お祖父さんやお祖母さんから授かったと思う。
命日が3月31日のお祖母さんの十三回忌を行う寸前に、お祖父さんが入院。
そして、数週間後に他界した。
その頃に、お前が授かった。
だから、お祖父さんの生まれ変わりとも言われている。
神様とお祖父さんとお祖母さんが、お父さんとお母さんにプレゼントしてくれたと!
もし、お前が授からなかったら、もしかしたら、お父さんはそれからも独りで生きていたかも知れない。
でも、お前が授かったので、お父さんの人生は一変した。
まだね、お母さんとは結婚していなかったんだよ。
それまでの13年間は、お父さんはずっと独り暮らしをしていた。
だけど、お前が授かったので、直ぐに一緒に暮らすようになった。
それまでの独り暮らしから、急遽、二人、いや、二人半の生活が始まった。
でも、そのお陰でお父さんは、お祖父さんを亡くした悲しみを癒すことが出来た。
それどころか、そんな事を考える暇も無かった。
新婚生活やお前の誕生の準備などで、毎日が慌しかった。
でも、楽しかったよ。
だって、年が明けたらお前に会えるからね。
そう思うと、全てが楽しかった。
でも、一つだけ悔いがある。
それは、結婚式を挙げていない事。
だって、急だったので、お母さんの引越しやら、生活用具を取り揃えたり、お前の生まれるまでの準備もしたり、それに、お母さんはつわりが酷くてね、岐阜に来た後は、一ヶ月以上、殆ど寝たまんまだったから。
だから、何もしてやれなかった。
それにお父さんはお金も無かったしね。
女の人にとっては、結婚式は、夢だろうから、何時か叶えてあげたいな。
そしてね、お前が授かって、お父さんはホッとしたんだよ。
何故かって言うと、お父さんが居なくなった時に、お母さんが独りぼっちになってしまう。
お父さんとお母さんは年が離れていてね。
14歳も違うんだよ。
だからね、お母さんは独りの時間が長くなるなあと、何時も呟いていた。
お父さんはその事が一番の気がかりだった。
でも、お前が授かったので、お母さんはもう、独りじゃあない。
お前が授かったお陰だよ。
お父さんは、心から喜んだ。
お母さんが独りにならなくてすむってね。
そして年が明けた1月4日にお前が生まれた。
嬉しかったなあ。
分娩室からお前の生まれた瞬間の泣き声を聞いた時、涙が出て止まらなかった。
それほど、嬉しかった。
それから直ぐにお前と対面。
産湯に浸かっているお前を初めて見た時は感激したなあ。
そしてタオルに包まれてお父さんの腕の中に。
お父さんは宝物を抱くように、そっと、壊れないかと心配しながら、そっと抱いた。
我が子
お父さんとお母さんの子
祥太朗
そっと腕の中に抱いたまま、お母さんの枕元に行き、お母さんに渡した。
お母さんも泣いてたよ。
お父さんもお母さんも、嬉しかったよ。
お前が生まれてきた事が、本当に嬉しかったよ。
お前が将来大きくなって独りで生きて行ける様になった時には、思い出して欲しい。
お前が生まれてきた事を、お父さんとお母さんは、心から喜んだ事を。
でも、ショウ、ごめんね。
お父さんは、ショウの成長する姿を何時までも見届けたいんだけど、でも、それは出来ないんだ。
お前が生まれた時には、お父さんは51歳。
半世紀を生きてきてしまった。
残りの人生の時間の方が短いんだよ。
恨むかも知れないが、こればかりは遺憾ともし難い。
将来、父親が必要になる時が来るだろう。
男親を必要とする時が来るだろう。
でも、その時はお父さんももう居ないかもしれない。
ごめんね。
何も出来なくて。
本当にごめんね。
お前の子供の顔、孫の顔は見ることが出来ないだろう。
お前の結婚式は見ることが出来ないだろう。
お前の成人式は…。
お前の大学生姿は…。
お前の高校生姿は…。
お前の中学生姿は…。
反抗期はどうだろうなあ。
本当にごめんね。
お父さんも悔しいんだよ。
何時までも、ショウの顔を見ていたい。
どんな子供に成長するかを見ていたい。
どんな大人になるかを見ていたい。
でも、叶わぬ夢なんだよ。
こればかりはね。
お父さんの子で生まれた事を恨むかもしれないなあ。
本当にごめんね。
何もしてやれなくてごめんね。
ごめんね。
だから、お父さんが元気で生きている間は、お前とお母さんと一緒に居るよ。
どんな事があっても一緒に居るよ。
だって、お前はお父さんとお母さんの宝物だもの。
ずっと、ずっと一緒に居るよ。
ずっとだからね。
お父さんとお母さんの宝物
ショウ、生まれてくれてありがとう。
平成20年1月4日 13時54分
男子、誕生 3070g 母子共に健康
祥太朗と名付けた。
明るく、そして温かい心を持った人になって欲しいと、そうすれば、将来、どんな苦境に立たされても、手を差し伸べてくれる人が現れるだろう。
人生は、辛いかもしれない、苦しいかもしれない、でも、周りの人と仲良くしていれば、楽しい事が一杯ある。
そんな人生を送って欲しいとの願いを込めた。
ショウ、お前が生まれた事が、お父さんは何よりも嬉しい。
それだけで、お父さんは満足です。
お前は天からの授かり者。
お父さんは、そう、思ってます。
お母さんは、無排卵月経症と言ってね、子供が出来にくい体質。
婦人科の治療はしてはいたが、お父さんとお母さんは、子供が出来ないだろうと思っていました。
だから、お前がお母さんのお腹の中に宿ったと聞いた時は、飛び上がらんばかりに驚き、喜んだ。
諦めていた二人の子供が出来た!
お父さんが思うに、お前はお父さんのお父さんやお母さん、お前から見たら、お祖父さんやお祖母さんから授かったと思う。
命日が3月31日のお祖母さんの十三回忌を行う寸前に、お祖父さんが入院。
そして、数週間後に他界した。
その頃に、お前が授かった。
だから、お祖父さんの生まれ変わりとも言われている。
神様とお祖父さんとお祖母さんが、お父さんとお母さんにプレゼントしてくれたと!
もし、お前が授からなかったら、もしかしたら、お父さんはそれからも独りで生きていたかも知れない。
でも、お前が授かったので、お父さんの人生は一変した。
まだね、お母さんとは結婚していなかったんだよ。
それまでの13年間は、お父さんはずっと独り暮らしをしていた。
だけど、お前が授かったので、直ぐに一緒に暮らすようになった。
それまでの独り暮らしから、急遽、二人、いや、二人半の生活が始まった。
でも、そのお陰でお父さんは、お祖父さんを亡くした悲しみを癒すことが出来た。
それどころか、そんな事を考える暇も無かった。
新婚生活やお前の誕生の準備などで、毎日が慌しかった。
でも、楽しかったよ。
だって、年が明けたらお前に会えるからね。
そう思うと、全てが楽しかった。
でも、一つだけ悔いがある。
それは、結婚式を挙げていない事。
だって、急だったので、お母さんの引越しやら、生活用具を取り揃えたり、お前の生まれるまでの準備もしたり、それに、お母さんはつわりが酷くてね、岐阜に来た後は、一ヶ月以上、殆ど寝たまんまだったから。
だから、何もしてやれなかった。
それにお父さんはお金も無かったしね。
女の人にとっては、結婚式は、夢だろうから、何時か叶えてあげたいな。
そしてね、お前が授かって、お父さんはホッとしたんだよ。
何故かって言うと、お父さんが居なくなった時に、お母さんが独りぼっちになってしまう。
お父さんとお母さんは年が離れていてね。
14歳も違うんだよ。
だからね、お母さんは独りの時間が長くなるなあと、何時も呟いていた。
お父さんはその事が一番の気がかりだった。
でも、お前が授かったので、お母さんはもう、独りじゃあない。
お前が授かったお陰だよ。
お父さんは、心から喜んだ。
お母さんが独りにならなくてすむってね。
そして年が明けた1月4日にお前が生まれた。
嬉しかったなあ。
分娩室からお前の生まれた瞬間の泣き声を聞いた時、涙が出て止まらなかった。
それほど、嬉しかった。
それから直ぐにお前と対面。
産湯に浸かっているお前を初めて見た時は感激したなあ。
そしてタオルに包まれてお父さんの腕の中に。
お父さんは宝物を抱くように、そっと、壊れないかと心配しながら、そっと抱いた。
我が子
お父さんとお母さんの子
祥太朗
そっと腕の中に抱いたまま、お母さんの枕元に行き、お母さんに渡した。
お母さんも泣いてたよ。
お父さんもお母さんも、嬉しかったよ。
お前が生まれてきた事が、本当に嬉しかったよ。
お前が将来大きくなって独りで生きて行ける様になった時には、思い出して欲しい。
お前が生まれてきた事を、お父さんとお母さんは、心から喜んだ事を。
でも、ショウ、ごめんね。
お父さんは、ショウの成長する姿を何時までも見届けたいんだけど、でも、それは出来ないんだ。
お前が生まれた時には、お父さんは51歳。
半世紀を生きてきてしまった。
残りの人生の時間の方が短いんだよ。
恨むかも知れないが、こればかりは遺憾ともし難い。
将来、父親が必要になる時が来るだろう。
男親を必要とする時が来るだろう。
でも、その時はお父さんももう居ないかもしれない。
ごめんね。
何も出来なくて。
本当にごめんね。
お前の子供の顔、孫の顔は見ることが出来ないだろう。
お前の結婚式は見ることが出来ないだろう。
お前の成人式は…。
お前の大学生姿は…。
お前の高校生姿は…。
お前の中学生姿は…。
反抗期はどうだろうなあ。
本当にごめんね。
お父さんも悔しいんだよ。
何時までも、ショウの顔を見ていたい。
どんな子供に成長するかを見ていたい。
どんな大人になるかを見ていたい。
でも、叶わぬ夢なんだよ。
こればかりはね。
お父さんの子で生まれた事を恨むかもしれないなあ。
本当にごめんね。
何もしてやれなくてごめんね。
ごめんね。
だから、お父さんが元気で生きている間は、お前とお母さんと一緒に居るよ。
どんな事があっても一緒に居るよ。
だって、お前はお父さんとお母さんの宝物だもの。
ずっと、ずっと一緒に居るよ。
ずっとだからね。
お父さんとお母さんの宝物
ショウ、生まれてくれてありがとう。